Z-hits COUNTDOWN

誰かの人生の、ほんの少し足しになれば。

A(C)

毎朝スーツを着て会社に出かける。

仕事をこなし家に帰る。

休みの日には部屋に引き籠もり。

これが俺の毎日で、

これが今のところの俺のすべて。

 

 

この生活の中に俺がカッコつける要素があるだろうか。

 

 

カッコつけたい時に

カッコつけたい相手に

俺がカッコいいことを解っていてもらえたら

もうそれで構わない

そういうふうに考えるようになった。

 

 

もう四六時中カッコつけるような歳じゃないし

もうそんなエネルギーは尽きてしまったのだろうし。

「ありのままの」なんて流行りの言葉は好きじゃないが

無理してカッコつけてることを覚られることほど

カッコ悪いものもないと思うんだ。

 

 

カッコいいことと

カッコよく在ろうと思うことは矛盾しない。

そう在ろうと思い続けることと、

そう在ろうと努めること、

そんな自分を肯定し続けること。

その在り方がカッコいいと、

そう思わないだろうか?

 

 

 

 

 

ジーンダイバー

最近すごく子供がほしい。

これは俺の本能がそうさせているような気がする。

だから近々俺は死ぬんじゃないかとも考える。

どっか病気だったら嫌だなあ。

 

 

病気といえば

もし俺が将来病院で医者に癌の告知をされるなら、

絶対に俺はその場で「ガーン」って言うと思う。

そう予感している。

その程度にはお笑い回路が俺の体に組まれている。

 

 

「予感」「直感」「なんとなく」「~な気がする」

こういったものをできるだけ重視するようにしている。

文明社会に飼いならされると

こういったものを理性がハナから無視しようとする。

だけどそれはとても大事なものだと思っている。

なぜならそれは生き物としての

本能からのシグナルだからだと思うからだ。

 

 

極端な例を出すが、

「一目惚れ」ってのは本当にあると思う。

この歳に至り、

異性の好み、いわゆるタイプってのは

本当に千差万別だと解るようになった。

クラスで・職場で・街角で、

あの娘が可愛いとか、タイプだとか、

実は自分がそう思っている人は案外

他の人とカブらない。

それは実は誰もが遺伝子レベルで

自分と合う遺伝子を持つ人を察しているから

だと思っている。

だから一目惚れは「アリ」なのだ。

 

 

誰かと付き合う

というプロセスを経る時、

恐らくは第一印象からその対象者は「アリ」が圧倒的だと思う。

少なくとも俺はそう。

「アリ」か「ナシ」かで言えば「アリ」

という人としか俺は付き合ったことがない。

そしてSEXの相性も、

第一印象の時点で

直感でなんとなく判る気がしている。

そしてこれはほぼ外れたことがない。

 

 

たとえばカラダの相性ってのは

進行の上でのお互いのリズムが合う

味やニオイが気にならない

お互いに気兼ねなく快楽に没頭できる

こういうことだと思うんだが、

それって生き物としての、

遺伝子どおしでの相性が良いってことだと思うのだ。

だからニオイや味がダメな人とは恐らくSEXが楽しくない。

付き合っても長続きしない。

遺伝子が合ってないってことだから。

逆に、遺伝子の相性が良い人とは

もしニオイや味に特徴を覚えたとしても

全然許容できるはずだ。

 

 

こういうのって普段アタマだけで考えて生きてる人は

理解できない要素かもしれない。

恋愛は内面が全てなんて思ってるような奴には。

だけど俺はできるだけそういう

本能のサインは逃さないように努めている。

そしてそれで結構うまくいってきた人生だと思うの。

 

 

ではなぜ俺には現在カノジョがいないのか。

それには予感や直感では割り切れないふかーい理由があるのだ!

あーーーー難しいネ!

 

 

 

 

 

 

フジファブリック③

フジファブリックの魅力とはなんだろう。
まずは何をとっても志村正彦という天才がいたことに尽きる。
この志村、
デビュー当時からすでに天才と呼ばれていた。
それは過去のロッキンオンジャパンの紹介文や
インタビューなどでも垣間見ることが出来る。
その独創的な歌詞・メロディ・アレンジ・・・
俺のたったよっつ歳上なだけの人なのに
この引き出しの多さはなんなのだろう。
感性の鋭さ、個性の独自性、その立ち居振る舞い、
何をどう形容しても天才としか形容できない・・・
のかと思いきや、とてもとても人間臭い。
自分に全然自信が無い、友だちがいない、
恋愛が下手、漫画大好き、目が悪い・・・
と、何を羅列しても魅力的な人間だ。
その天才が、
「曲が書けないミュージシャンなんて糞だ」
と、まさに文字通り命を削ってそれを曲にしていた。
志村の死因は実のところはっきりしていない。
公式にもたしか病名不詳としか書かれていない。
死の直前の志村は、
周囲の人やライブに行ったファンからは
病的に細いと言われていたようだ。
自身のブログでは風邪も引かなくて健康だと言いながら、
食事はフリスクだけだったいう情報もある。
まぁ逝っちまったもんはしょうがない。
が、逝った日がこれクリスマスイブってんだから、
どんだけロックなんだよアンタ・・・
というカンジに、
彼の残した作品と彼自身にとても魅力がある。
それが良くも悪くも現在のフジファブリックの重しになってはいるのだろうが。

 

 

そして音楽性。
ジャンルで言えばフジはなんて種類のロックなのだろう。
ちょっとひとことでは形容し難い・・・
キーボードがメンバーにいるせいで
ポップもダンスもロックもなんでもござれだ。
かつてフジは志村のワンマンバンドの側面があったことは否めないが、
新旧通して聴きこむと、音楽的に実はそんなことは無いことが解る。
志村自身がワンマンバンドなんて呼ばれたくないと言っていたことからも判るが、
実は各楽器メンバーの個性が色濃く出ている楽曲が実に多い。
それこそ初期は志村の「変態性」と形容される独自色を持った作品も多いが、
中期頃からこの変態性と普遍性とロックセンスを
絶妙にミックスした曲が目立つようになる。
実際現在は各メンバーが全員曲作りをしている点からも
各々のメンバーの音楽感性の高さが伺える。
演奏面で言えばメンバー全員とても演奏の技術が高い。
特にキーボードの金澤ダイスケ、ギターの山内総一郎、
この二人はフジがなくてもそこそこやっていけるんじゃないかと思う。
ダイちゃんのキーボードのカッコよさに
鍵盤に目覚めるキッズとかいそうだし、
総くんは志村の上手でギター弾きまくってる姿がすげえカッコ良かった。
のに、今やボーカルも兼ねるようになったので
若干ギタリストの側面が薄れてしまったのが少し残念。
あんなかっこいいギタリストをギタリストから遠ざけてしまうなんて・・・
ホンマ志村は罪な男やでェ

 


まだまだ魅力を書けばきりがないが、
あえて最後に一つ言わせてもらうと、
志村が死ぬ前と後と、
どちらの側面も楽しめるバンドであるということ!
志村が死んでしまったのでもう何を言っても推測や可能性の話にしかならないが、
志村はそのうちフジを辞めた可能性もあったと思う。
志村に曲を書いて欲しいと依頼がいくつもあって
実は死ぬ少し前はフジ以外でも多忙だったらしいことや
志村自身が「このバンドに俺いらねえんじゃないか」って語ったことがあることや
クロニクルで志村が見せた限界や吐露、
そういうところから推察するに
志村が辞めてしまう未来があったかもしれないことは否定出来ない。
もしそうだったとすれば
たとえ志村が生きていたとしても、
恐らく現在まで続くフジは
その時点でなくなっていただろう。
珠玉の名曲たちも
それで完全に過去の遺物になってしまっていたかもしれない。

だけど現在フジファブリックは存在し続けている!
志村の死が残りのメンバーにもたらした衝撃たるや
それは俺達みたいなファンが想像するより遥かに大きかったに違いないが、
バンドマンってのは自分の人生かけてそのバンドやるわけでさ。
大抵の人は志村ありきで考えていたフジというバンドを
俺達で続けますと表明する勇気と重責。
そして現在の3人が届けてくれる
志村の曲に勝るとも劣らない良曲・名曲の数々。
これらが志村の死によってもたらされたものだとしたら
決してありがたい・・・とは言わないが・・・なんとも・・・やるせない・・・。
もし今志村が生きてたら・・・
覚醒した現メンバー3人との化学反応で
どんなスゴイ楽曲を聴かせてくれたのだろう・・・
夢想しだすと止まらなくなるよ!

 


ひとつ、声を大にして言いたい!
こんなにドラマティックなバンドは他にいない!
現存していることが奇跡みたいなバンドだ。
メンバーがバンドを続けてくれたおかげで、
志村が作った曲だってライブで聴くことが出来る。
こんな一粒で二度美味しいみたいなバンド、
俺は他に知らない!

 

 

語りたいことはまだまだあるし、
こんな書きなぐりの文章でフジの魅力が
誰かにどれだけ伝わったかはまったく解らないが、
これからも何かにつけて
フジの記事を書いていこうと思う。
俺のフジ愛はこんな駄文で発散できるほど
弱い熱じゃないのだ。

そしてまた今日もようつべでフジの動画漁りの日々である。

 

 

 

 

 

 

フジファブリック②

・・・ご存じの方はとっくにご承知だろうが、
このフジファブリックというバンド、
志村正彦というVo&Gtがほぼすべての楽曲の作詞作曲をしていて、
偏った見方の嫌な表現をすれば
この志村という男のワンマンバンドだったのだが、
なんとこの志村が2009年12月24日
急逝する。
このバンドをスルーしたままの俺だったが、
このニュースを見た時は正直ビビった。
デビューから5年、
日本のロック界をこれから牽引していくであろうことは
当時このバンドに興味のない俺の目から見ても明らかだったのに。
しかもこの志村がほぼ曲を作っていたことを知ってはいたので、
あーあ、これでフジファブリックも終わりかー・・・
とか思っていた。
むしろこの2009年に同じく急逝した
アベフトシの死のほうを強く悔やんでいたのを覚えている。
今となればどちらの死も悔やみきれないのだが・・・

 


時は流れ、
志村の死から幾日が経ち、
そのニュースの記憶も遠ざかってきた頃、
度々フジファブリックの名前を聞くことがあった。
好きで初めから見ていたモテキというドラマのOPだったし、
職場で一番仲の良い友達がフジのファンだったし、
志村亡き後残ったメンバー3人でフジは継続するというニュースもきいた。
マジ?曲は全部志村が作ってたやん。
そんなもんまったく別モンやろ。
俺の認識はこの程度だったのだが・・・



ある日ふと
3人体制のフジはどんなもんかと
Youtubeで聴いてみた。
「STAR」という曲だ。


この日の衝撃を俺は忘れない・・・



そこにはフジファンには申し訳ないほどニワカな俺でも感じるほど
むかし初めて聴いたフジと同じ音が鳴っていたのだ。
キラキラしていて、どこかひとクセあって、
なのに畳み掛けてくる、
そんな変わらないフジファブリックが居たのだ。
通常、バンドの核となる人間を失くした時、
そのバンドは生き続けることが出来るだろうか?
サザンから桑田が、
ミスチルから桜井が、
スピッツから草野マサムネが、
もし居なくなったらそれはもうそのバンドの終わりじゃなかろうか。
というとファンの人に殺されるかもしれないが、
あながち言い過ぎでもないと思う。
だけど、フジは変わらなかった。
少なくともその時の俺にはそう聴こえた。
それがすごく衝撃だった。

 


そこからの俺は
元々フジが好きな友達もいたおかげで、
今更ながらフジファブリックを深く知っていくことになる。
そして知れば知る程、
なんと魅力的なバンドなのかと思い知ることになる。
もうフジを知らなかった頃の俺には絶対に戻れない。
それくらい愛している。
体の一部だとさえ思う(笑)
なぜ俺はもっと・・・
もっと早くにこのバンドに興味を持たなかったのだろう・・・
悔やんでも悔やみきれない。
志村が生きている時にライブにも行ってみたかった。
フジを知ってからの俺は、
ミュージシャンのライブはいつ見れなくなるか判らないからと
好きなミュージシャンが近くに来ると必ずライブに行くようになった。
おかげでライブに行き過ぎて慢性的に金が無いほどだ。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

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フジファブリック①

俺が人生で最もハマったバンドを五指挙げるとして、
最も最近これに加わったバンド。
それがフジファブリック
今回はこのフジファブリックの魅力を力の限り書き連ねたい。
俺の拙い言語力でどの程度伝わるか、
そもそも誰も見ていないこのブログで
誰に向けて発信するのだという疑問はさておき、
俺がブログという形で何かを自分の外に出力するにあたり、
このバンドについて語りたいという欲求はとても抑えきれないものがある。
自分がこのバンドに感じている魅力を
改めて言語化し、再認識しておく必要もあるのだろう。

恐らく一回では書ききれまい。
アルバムごとのレビューとかもやってしまいそうだ。
さて、何から話したものか。



まず俺がフジファブリックに初めて触れたのは
恐らくは「銀河」。



この曲の発表当時、
俺の住んでいる部屋はJCOM見放題という
高校卒業したばっかの若造の一人暮らしにはとてもオイシイ環境だった。
小学生の頃から実家のケーブルテレビで
音楽チャンネルに首ったけだった俺には、
必然的に音楽チャンネル垂れ流しの生活が待っていたわけだが、
その中でも特に強烈なインパクトがこの曲にはあった。
それは音楽に興味のない人でも、
PVを見れば一目瞭然、
一聴すればなんだか翌日も口ずさめる程の
強烈なインパクトがあると確信できる。
この銀河の後2年間位の間だと思うが、
音楽チャンネルでフジファブリックを見ない日は無かったように思う。
新譜をリリースする度、
音楽チャンネルのランキング的な番組のチャートには
必ず上がっていたように思う。
それもそのはず、
ロキノン系のバンドの若手筆頭と呼べる勢いと注目度を
このバンドはメジャーデビュー当初から持っていた。
それはAmazonファーストアルバム
セカンドアルバムのレビューを見ることで
今でも確認できるだろう。

 


だがしかし、
俺はこのバンドを一旦スルーする(笑)
当時の俺の興味はむしろ洋楽の方に向いていて、
あまり国内のバンドに興味がなかった。
これだけ売れてんだ、
機会があるときにいつでも聴けるだろう、
そんなことを考えていたのだ。
それくらいにこのバンドの勢いは
国内バンドに興味のない俺の目にも映って見えた。

 

 


そしてこの考えがとんでもない間違いだったことを
俺は後からひどく後悔することになる・・・。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

フジファブリック

フジファブリック

 

 

第参話

言葉は研ぎ澄ませば刃

なんちゃって。

俺はクセでどうにも言葉の単語量を多くしてしまうキライがある。

それが良いのか悪いのかは別。

そのせいで理屈っぽい奴と思われることもある。

けれど言葉を削ぎ落とすだけ削ぎ落として

最も簡潔に、最も効果的に、

目的や意思だけを伝えることができる奴は

恐らく言葉のキツイ嫌な奴と思われるのだろう。

いきなり「死ね」とか「臭い」とか言ってくる奴。

・・・はちょっと違うか。

 

 

そんな奴は漫画家とか小説家とか

言葉を操る職業が向いている

のではないだろうか。

なにぶん人間ってのは言葉が全てだ。

言葉を支配した奴の勝ち。

俺もなんらかの形で

湧き上がる言葉を出力しないとダメなタイプなのだろう。

だからまたブログとかやっちゃうわけだ。

 

 

 

 

 

第弐回

閑話休題もせず

話をブツ切るブログってどうなのか。

昨日の記事を見なおしてそう思った。

オチくらいはつけたいところだが

俺にそんなスキルは無いのだろう。

 

 

漫画やアニメのタイトルには魔法がかかっている。

・・・いきなり何を切りだすのだろう俺は。

突拍子も無さすぎる「入り」だ。

さて、

マンガやアニメのタイトルや表紙を見た瞬間、

きっとこの話はこういう話なのかな?と

頭の中に願望のようにストーリーやシーンが溢れだす経験は無いだろうか。

俺にはよくそういうことがあって、

実際その作品の中身を見て

ほんの少し「おもてたんとちゃう」と

ガッカリすることがある。

表紙やタイトルから想像されるキャラクターやストーリーのほうが

自分にはとても面白かったように思えて、

その作品になんとも自分勝手な減点をするのだ。

 

 

 

今たまたま読んでいた「魔法使いの嫁」なんかは

最近のそんな作品の代表である。

一巻の表紙を見た瞬間俺の頭の中に浮かんできた大まかなプロットの中では、

 

魔法使いのほうはもっとアダルトに紳士なカンジで

いくつもの通り名を擁する伝説級の強者なのに

嫁に対してだけたまに大人げない一面と

圧倒的な人生経験と知識から諭す大人な一面を併せ持ち

 

嫁の方は若さと未熟さ故のサバサバ感と

なぜか万人の目を惹きつける美しさを兼ね備えていながら

イマドキの萌えポイントをあざとくぶち込んでくる

 

そんなキャラクターのふたりが

圧倒的にファンタジーな世界観で

たまに悪者と戦いつつ

クールに、オサレに、

基本はひたすらイチャコラする漫画

というのを想像したというか

読みたかったというか・・・

マァ普通に現物も面白い漫画ではあるのだが。

いまだに俺の中ではこの想像上の「魔法使いの嫁」を

超えきれない部分があるという

変なジレンマを抱えながら読んでいる。

 

 

そしてその逆に

自分のそういったチンケな想像を

蹂躙していくものすごい作品に出会ったりもする。

これだからオタクはやめられないのだ。